私だけかもしれないが時々、仮説を頭の中に構築していってそのことしか考えられなくなるというのがある。
いや、デュフフな妄想とか鬱とかネガティブなこととか、そういう感じではなくて、
何かこう普遍的な、ニンゲンとしての一般論(大衆心理に近い?)と個人が構築した理論を照らし合わせる作業をずっと続けてしまうという。
結局、個人が構築した理論は個人の中でしか完結しないから、一定期間をおいてまた疑問や仮説として浮かび上がってしまうという状況があって、
日常生活をする上であまり効率が良くない、というか、
解決しない&解決しなくても良いことをいつまでも考えていたくないな~という思いもあるので、一旦アウトプットして置いとこうかなと。
内容は色々ですが、お時間ある方はご一読頂いて、Twitterとかでご意見ください。
めっちゃ真面目に書いてますが、気が滅入ったりとかはしてないのでご心配なく!笑
ゲームにおける最も効率の良い楽しみ方の探求
散々真面目な前振りしといて結局ゲームか~い。というね。いやいや、内容は真面目です。
ゲームを楽しむって何だ?
主に他のユーザーとの交流をする、すなわちオンラインゲームについてのお話。
Twitterを眺めていると、これは本当に半永久課題だなというのが個人的な結論付け。
とはいえ、自分なりの最適解は見つけておかないと、周囲に流されてしまうだろうなと思いつつ、
どのようにゲームを楽しむかについて「周囲と温度差が生まれにくい自分なりの最適解」を見つけ出さないと浮いてしまうというジレンマ。
結局は、自分が属している・または即席で参加したコミュニティが「ゲームのどんな要素を楽しさとして見出しているか」
を把握しておく必要がある。
分かりやすく例を挙げるなら、私のTwitterのTLでよく話題になった「スプラトゥーンのリーグマッチ募集」そして「FF14のレイドコンテンツ」あたり。
「エンジョイです!」という書き込みを見た他のユーザーがどのように感じるか。
募集する側と参加する側、双方の認識に齟齬がある故、トラブルの原因になる。
具体的には
個人の思考なので仮説の域を出ないが、そのゲームコンテンツにおいて
・ヒト同士のやり取りを楽しみたい、つまりゲームをコミュニケーションツールとして捉えている場合
・勝負に勝つ、もしくは勝つために努力することを楽しみたい場合
・ただ単にそのコンテンツを遊びたい(恐らくは誰かと一緒でなくても良いが、複数人でないとコンテンツに参加できない)場合
などが主に考えられる。
こんなにもユーザーに思考回路がある(と思ってる)のだから、「エンジョイってこういうことでしょ?」となるのは想像に難くない。
仮説に基づいて、もう少し深く考える
漫画:ハイキュー!!の作中で、
「勝負事で本当に楽しむためには強さが要る」というセリフが登場する。
残酷ながら、これは事実であり真理でもあると個人的には考えている。
もっと踏み込めば、対人ゲーでも協力ゲーでも、更に言えばソロゲー、勝負事でなくても心から楽しむためには少なくとも周囲と同等・または円滑にゲームを進められる程度のプレイスキルが必要になってしまうのではということ。
逆に、強さ・上手さを手に入れることで初めて、視野が広く寛大な考え方ができるようになると言うのも間違いではないように思う。
では、ゲームで上手く・強くなるのが「楽しむ」ということなのか?
ある一定の領域にたどり着いてしまえば、経験上楽しむことは容易ではあるのだが、如何せんそこまで行くのに莫大な時間が掛かってしまう。
過程を十分に楽しんでおり、結果的にその領域に居たというのが理想ではありながらも、その時々で降りかかるストレスなどを考慮すると、効率が良いとは思えない。
FPSや格ゲーが最たる例かなと。他のジャンルでも考えなくてはならないことかも。
一方で、
ゲームをコミュニケーションツールとして捉えているユーザーの場合には、基本的にゲームの強さ・上手さについて気にしていない場合が多いと考えられる。
ただし、余りにもゲームプレイがお粗末だと、目的のコミュニケーションにも支障が発生してしまう。
このことから、ゲームをコミュニケーションとして楽しみたい派には、「自分では迷惑をかけてしまう」といった層も存在しているし、
詰まるところ、ある程度時間を掛けてゲームプレイをスムーズにしておかないと楽しめないという事実に変わりは無いように思えてくる。
結局どうするべきか
上記の理由で、自身の中での新たなゲームコンテンツに対し、「本当に楽しめるのか」「時間を掛ける価値があるか」について慎重に考えなければならないのはもちろん、
これからコンテンツを遊ぶコミュニティと、楽しみ方についての温度感を綿密に共有する必要があると思う。可能なら後追いではなく同時に始めるというのが一番良い。
その前提をしっかり構築できているのであれば、大体は上手くいく。というより、長続きしているコミュニティや、評判が良いユーザーはこのあたりを無意識ながら理解しているイメージ。
余談だが、そういった云々を一切考えなくてもいいゲームは「Minecraft」かなと思っていて、どう転がっても恐らく最も効率良く楽しめるだろうし、世界中で支持され続ける理由にも少しはなっているのかなと考えたりする。
ただ私がプレイすると眠くなるのは厄介。
漫画:約束のネバーランドから学ぶ「関わらない」という選択肢
「関わらない」という選択はそこまでし辛いのか?
時期的にもうネタバレを考慮しなくてもいいかなと思ってるので、特に意識せず書いていく。
世界観として、まず「鬼が棲む世界」「人間が棲む世界」があり、お互いの世界にお互いが干渉しないことを条件付きで約束している。
そして約束の内容が「主人公のエマを含む一部の人間達を鬼の世界で育て、鬼の食糧とし続けること」となっており、
エマやノーマン、レイをはじめとした食用児たちは、ふとしたことからその事実に気付き、どうにかして鬼が棲む世界から脱出を試みるというストーリーが展開される。
あらすじはさておき、原作の中盤では、
「鬼を絶滅させたいノーマンとその周囲」と「鬼と関わらない道を模索したいエマ」という構図がある。
鬼は人間を食べていて、現に食用児たちは苦しめられているから、絶滅させて然るべきだというノーマン陣営と、
鬼は生きるために人間を食べているだけであり、その営みは人間に置き換えても変わることは無く、食用児たちが鬼の棲む世界からいなくなれば良いだけの話だと主張するエマ。
もっと細かい設定はここでは割愛するのだが、
この構図は漫画の外、すなわち現実に置き換えても頻繁に発生している。
いや、ヒトが食べられるとか絶滅とか、そういった危機感を伴う規模ではなくて、
もっと規模の小さい、私に言わせればしょうもないところで、という意味。
具体的には、
価値観を押し付けてくる事象全てに当てはまる。
テレビやよくわからないインフルエンサーが主張する内容に対して、写真・スクショを張ってあーでもないこーでもないとTwitter他で騒ぎ立てるアレ。
もっとこう、関わらないで放っておくというのはできないのだろうか。
意図的に異なる価値観をぶつけ合うことほど不毛なものはない。
どんな意図をもって批判なり騒いでいるのかというのは個人的に気になるところではある。
相手の価値観を変えられると思っているのか、暇つぶしなのか趣味なのか。
確かに、放っておくと自身に何らかの害を被ってしまう場合は、明確に批判や反対意見を表明しなければならない。
沈黙することは同意したも同然であるというのは世界的に云われていることで、その線引きはしっかりとすべきだというのは理解できる。
ただ、表立っている物事は大抵自分には関係のないことが多い。それをわざわざ取り上げて批判したりしているのだから、
他にやることが無くどうしようもない暇な人はたくさんいるんだなあと。
自分と違う価値観や考え方、そして気に食わないことに遭遇した時、徹底的に叩き潰さないと気が済まない。関わらない、放っておくことすら許さないような心理はいつどのタイミングで醸成されるのか、非常に気になるところ。
一方で、その様子を不愉快に思いつつも、上述したように騒ぐ人たちがいるから自分が関わらないという選択肢を持てるのか?という疑問もあるが、
実害を被る場合以外に関して言えば恐らく答えはNO。
仮によく分からないメディアとかが書いた「世の女性から見た一般男性とは年収1000万以上で、身長180cm以上で…」みたいなよくあるヘイト記事が拡散されて、
誰一人批判する人がおらずデファクトスタンダードになったとしても、
「ほっとけよ…」という感想以外は出てこないと思う。
芸能人のスキャンダルもそうだし、一時話題になった港区女子とかもそう。あれは極端な例だが、相手が求めているモノ(価値観とかお金とか含む)を当たり前に提供しようとできる人間が結局は絡みに行くわけで、
世間体的にあーだこーだとか、自分が合っているとか合っていないとか、それを考える時間が無駄であることに気付いていない人が多いように思う。
こういう人もいるんだなあ、で終わりにすればいいだけの話。
もしかしたら、そういうどうでもいい話題に無関心でいられるのは、
自分とその周囲の環境、考え方、価値観、そして社会的な立ち位置をしっかり俯瞰・理解している人、なのかもしれない。
身内や大切な友人、インターネットで繋がったゲームフレンドに至るまで、人間関係に恵まれているのは自覚しているが、自身をそこまでできた人間であるとは思っていない。
ただ、そこにある事実として、自分の中身は周囲が作る。ということなのかも。
さいごに
考えていることを順序立てて書いていくのって本当に難しくて、さくっとできない自分の能力の無さを嘆いてます。
接続詞、文章構成など粗が多いと思うのですが、何卒ご容赦下さればと。
それでは、今回はこのあたりで。